Cul De La 通信 第12号

空気の中を泳げそうな、湿度の高い日が続いています。
人間はうんざりですが、草木は来たる夏に向けて、葉を広げています。


目次 

寄稿文「これからの都市計画」
– ポチエ真悟(Impact HUB Tokyo 共同代表)

活動報告

編集部より

奥付


寄稿文

「これからの都市計画」
– ポチエ真悟(Impact HUB Tokyo共同設立者・取締役)

地域イノベーションばかり毎日考えるようになって数年経つが、

なぜ地域の方が大都市よりイノベーションが起きやすいかについてやっと率直に話せるようになった。

私は、東京は目黒のImpact HUB Tokyoという、起業家のコミュニティを作る仕事に共同創業者として携わって7年目、

そして、2018年からは長野・塩尻市における市役所運営のイノベーションハブ拠点の運営支援をしてきた。

そして、今年から来年にかけて中部地方の大都市でのイノベーションハブ拠点を運営する予定で動いている。

東京のイノベーションハブ拠点と、地方都市のそれを、日々両方見比べながら、
都市とイノベーションが起きるプロセスの本質を考えることが多々ある。

大都市のイノベーションのほとんどが「モノ」ベースだ。
モノ、企業、時にはかっこいいスタートアップをイノベーションと呼ぶ。

地域は少し違う。もちろん大都市モデルを当てはめようとする人々はたくさんいるが、
イノベーションが持続している地域は違う。

地域のイノベーションは「ヒト」がベースで、「ヒト」が「ヒト」のために何かことを初めて、結果それがイノベーションに繋がる。

「ヒト」がベースのイノベーションは持続しやすい。
「モノ」はいずれ消費されてしまい、忘れられるが、「ヒト」、特に地域の「ヒト」はずっとそこに居る。

「モノ」ベースのイノベーションの多くがハッタリだ。
実際に、我々の生活を良くしてくれる「モノ」が世界に誕生するのは本当に希だ。

そのほかの「モノ」はハッタリだ。

パクリはもちろん、新しいものを欲する人達が次何を欲しがるか、

そう言ったハッタリ商品がどんな夢を叶えてくれそうに見えるのか、についてのプロだらけの世の中になってしまっている。

「ヒト」に関していうと、もちろんハッタリは多い。
ただ、大都市と地域で違うのは、地域ではハッタリが通用しない、ということだ。

大都市でハッタリがバレても隠れる場所もたくさんあるし、属するコミュニティーを変えることも容易にできる。

地域はほぼ毎回一発勝負だ。

なので、もし本当に人々が喜ぶ、地域のための、環境のためのイノベーションを見たいのであれば、大都市を出て、地域に行くと良い。
その事業が誰のために、何のためにあるのかがはっきりしている環境だからこそイノベーションが起こりやすい。

もちろんリソースは大都市と比べて少ないかもしれないが、
国連で決めた指標を使った点数稼ぎの様なことはしなくてもイノベーションは起こせている。

「ヒト」ベースのイノベーションが地域で多く発生しているとなると、これからの大都市の役割はどうなるのか?

地域のイノベーションの多くは大都市とはあまり関与せず発生している。

今の日本のイノベーションの分布は分散型だ。
私は歴史の専門家ではないが、今の分散型社会は徳川家が日本の統治を始めた頃以来の出来事ではなかろうか?

もしこれからのイノベーションがもっと分散型になっていくとしたら、今我々が立てている想定や、頼っている仕組みはほぼ役に立たなくなる。

今の仕組みの多くが情報、権力や資産を集約する仕組みだからだ。

先日友達と話していた時に日本が海外と比べて分散型社会なのは肌感覚としてわかるが、何か良い例えがないか、という話になった。

色々な例が出てきたが、個人的に心に残っている例えが二つある。
一つ目は、日本の列車は先頭に大きな機関車を置くというよりもモーターを分散させる。
メリットもデメリットもあるが、それが日本風の列車づくりだという話。

もう一つの例は、日本料理というものにはメインコースはない。
主役があるというわけでもなく、それぞれの料理がお互いの良さを出す仕掛けになっている。

そんなことを考えながら、これから我々が目にするであろう日本社会の将来を想像すると、ものすごく楽しくなれる。

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参考リンク

Impact HUB Tokyo_ インパクトを社会に生み出す人達のHUB

シビック・イノベーション拠点「スナバ」

活動報告

日本カルチャーデザイン研究所は、今年も『図書館総合展』にフォーラム主催者として参加します。
今月も打ち合わせを開催予定で、その様子は後日活動報告にいたします。

その他の活動報告は、こちらをご覧ください
→ http://jcdlab.com/news/


編集部より

今号は、Impact HUB Tokyo 共同代表のポチエ真悟さんに、ご寄稿をいただきました。

私は東京で育った都会っ子ですが、
便利で、なんでもすぐに手に入る大都市で生活していると、
「私」というヒトが「消費者」として消費されていくような感覚になります。
私は、お金や時間の余暇を、顔の見えない消費者のためのコンテンツやモノに対して支払います。
その時、「私のために使うはずだった」余暇の喪失を感じるのです。

全貌のすら不明な、巨大な供給者の顔は、誰にも見えません。
その巨人が、私を典型的なペルソナとして想定する時、
その供給者に捧げられた私は、「消費者」の容貌をしている。
私もまた、雲の向こうに隠れた巨人の顔を見上げて、不安な気持ちになります。
巨人は、私の顔を見ているか…私は、せめてきちんと巨人の糧になっているのか…

持ち物を見ればその人がわかる、と言いますが、
それはまた、その人が欲した物の履歴とも言えるでしょう。
「欲しい」と思い、ここにないものを夢想することは、
「私」の主体性と分かちがたく結びついています。
欲を仮初めの消費財で埋めるたびに、
私たちは、ないものを思う力を鍛える機会や、
確固たる主体として自分を見つめる機会を失っているのかもしれません。

人が人のために起こすイノベーションは顔が見える、主語がわかる…ということと表裏一体にして、
「私は誰のために何をするのか」という基本的なことさえもはっきりしないまま、属性の集合体として生きることが、
いかに私たちの「当たり前の生き方」になっているのかという驚きもまた、
地域発のイノベーションに教えられています。

豪雨に見舞われた地域の皆様は、無事に過ごしておられますでしょうか。
被害がなくとも、危険が迫るというだけで、心には重い負担がかかりますね。
雨だれを眺めながら読書を楽しめるような、梅雨らしい梅雨が早く訪れますように。

編集部 髙城 光


奥付

Cul De La 通信
2019年7月8日発行 通巻第12号

発行 一般社団法人日本カルチャーデザイン研究所

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